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AOKING運営者のホリです

以前の6/16の記事では、高校総体の思い出を書かせて頂きました。
今回、現在各県で行われている全国高校選手権大会についての思い出を書いてみたいと思います。
長崎予選では去年に引続き今年も国見が決勝で諫早商業を6-1で破り優勝、全国大会へ駒を進めました。
ちなみに我が母校の長崎南は県トーナメントの初戦で敗退していました^^;
選手権は高校サッカーのメインイベント。
選手権まで残った高校3年生は、これが引退試合となります。
わたしはサッカーで上手くいかなくて泣いたことは何回かあるのですが、試合に負けて泣いたことは1回だけあります。
それは、高校3年次の選手権最後の試合。
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わたしの選手権の思い出は高校1年から始まりました。
高校入学当初からスタメンで起用されたおかげで、3年分の高総体、選手権、新人戦、天皇杯の思い出ができました。
その中でも、思い入れの強い試合、弱い試合っていうのがやっぱりあるようで、全く覚えていなかったり、今でも鮮明に思い出せる試合というのがあります。
わたしにとって1年次の選手権は記憶に強く残った大会でした。
当時のわたしは夏以降スランプに陥ってしまい、選手権には出れないだろうと思っていました。
ドリブルをしては取られ、パスをしてもミスばかり。Bチームの試合に出てもパッとせず、もうダメだと思いました。
自分に自信を持てない。ボールを持ったら何をすればいいのかわからない。
あまりのひどさに、試合の後に泣いてしまった事もありました。
そのスランプから3歩回復して3歩後退してを繰り返し、スランプから抜け出せそうで抜け出せないまま選手権長崎予選が始まろうとした頃、
左FWのスタメンの選手が怪我をして出られなくなり、急遽わたしが左FWとして起用される事になりました。
「・・・やるしかない」
スランプなんて他の選手には関係ない。
試合に出る以上、ベストを尽くすしかない。
選手権まで残った2人の3年生の為にも。
選手権が始まると、それまでのスランプが嘘のように自分のプレーができるように
・・・・
なるわけないですね。漫画のようにはいきません。
スランプの陰がちらほら見え隠れしている状態でしたが、それでも自分に出来る事はやれたのではないかと思います。
準々決勝で強豪の鎮西学院戦で1点を決め、2-1で勝ち、準決勝へ進出
準決勝では言わずとしれた全国屈指の強豪校:国見と対決。
前評判では長崎南がディフェンシブな戦いを強いられると見られていましたが、前半は五分五分
国見のスピードスター:松橋章太選手(2年)を長崎南の3年の先輩(後の早稲田大体育会の副主将)が完封し、前半を0-0で終了
後半になると少しずつ体力面に差が出てきて、攻め続けられる時間帯ができてしまいました。
途中から出てきた大久保嘉人選手(2年)にFKのリスタートの速攻から点を取られ1-0、続いて田上渉選手(2年)にこぼれ玉を詰められ2-0と差をつけられました。
後半は押し込まれ続け、終わってみれば長崎南のシュートは4本、国見のシュートは28本という結果に終わりましたが、白熱した試合だったと記憶しています。
試合の後、3年生が泣いていましたが、
「1年の自分にはまだ次がある」
そう思い、悔しい気持ちはありましたが泣くことはありませんでした。
こうやって終わったのが、スランプから抜け出す事ができないまま挑んだ1年次の選手権。
2年次の選手権は、高総体で3年が全員引退してしまった為新チームでの挑戦。
正直な話、全く思い入れが無かった為全然覚えていません^^;
とりあえず高総体で準優勝した高校に3-1で負け、ベスト16止まり。
3年生不在の選手権ほど盛り上がらないものは無いと思った大会でした・・・・。
そしてわたしが3年になった時----
わたしが在籍していた長崎南は進学校で、毎年高総体が終わる6月上旬で3年は受験勉強を理由に引退します。
これはサッカー部に限らず、全部活に共通している事でした。
わたしは高校受験の時、長崎の進学校の中で一番サッカーが強いところという条件で受験校を選び、中学から推薦をしてもらって校区外の長崎南へ進学しました。
推薦してもらってわざわざ校区外の学校へ進学したのに高総体で辞めるわけにはいかない。
「自分は11月の選手権までやる」と決めていました。
わたしの学年のサッカー部員は19名で、3年になった時のスタメンは10名(内県トレ6名)。
6月に高総体が終わった後、みんなに「最後までやろうよ」と声を掛けて回りましたが・・・
結局みんな引退し、わたし(左FW)と、キャプテン(ボランチ)と、控えだった選手(MF)の3人だけが選手権まで残る事になりました。
「これじゃあBチーム以下じゃないか・・・」
戦力がガタ落ちしたのは見て明らか
それでも今居るメンバーで戦うしかないこの状況。
『無くなったものを嘆くより、あるものをいかに磨き上げるか』
考えるべき事はそれだけだと思いました。
フォーメーションが今までの4-4-2のダイヤからボックスへ変わり、
私は左FW→ボックスの前、
キャプテンはボランチ→ボックスの後ろ、
もう1人はMF→右サイドDF、
で起用される事になりました。
わたしは実に高校1年以来のMF^^;
今までMFからパスを受ける側だったのが、FWへパスを出す方への転身は新鮮な感じでしたw
しかしながらこの起用が見事はまり、なんと長崎地区予選を1位で通過し、トーナメントへ駒を進めました。
トーナメントでは予選1位通過の恩恵でシードを得、ベスト16からのスタート。
初戦は県トレメンバーの主力の3年がほとんど残っている強豪の私立で同じく長崎地区の海星高校と対戦
ハーフラインからの魂の中央突破で、ザスパ草津でプレーしている御厨貴文選手含む3人を抜き去り(笑)、GKとの1対1を決めて1-0で勝利、準々決勝へ進出。
正直、この海星高校に当時のメンバーで勝てるとは思いませんでした^^;
海星高校は他の県だったら優勝して全国大会に出場できるレベルだったのではないかと思います。
次戦もまた主力の3年がほとんど残っている私立:鎮西学院と対戦。
1年次の選手権でも準々決勝で戦った鎮西学院。
2年前をふと思い出しました。2年前は勝った。今回も・・・
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あの頃と一番違うのは、『負けたら次は無い』、という事。
1年生の頃は、負けても「1年の自分にはまだ次がある」と思った。
1年次の選手権にはスランプの状態で挑んだ。今はスランプではない。
ベストコンディションで挑んだ今回の鎮西学院戦
前半0-0で折り返したものの、後半でDFのクリアミスを付け込まれ0-1。
わたしも得意の左サイドからのドリブル突破でシュートを放つもバーに阻まれ点が入らない。
後半終了間際、DFの選手を前に上げて3-4-3で点を取りに行ったもののカウンターから点を取られ0-2。
そのまま試合終了。
終わった後、生まれて初めて試合に負けた悔しさで泣きました。
高校3年間で、準決勝までしか行けなかった・・・・
3年間の思い出が走馬灯のように浮かび、涙が止まらなくなりました。
1年生の頃に見た、3年生が流した涙の理由はこれだったんだ----
今まで試合に負けて泣く人の理由がわからないちょっぴり冷めた自分が、これを機にいなくなりましたw
これにて高校サッカーは引退。
3年通して県大会の準決勝止まりで終わったわたしの高校サッカー。
それからは受験勉強の日々へ~~~
11月の選手権までサッカーをやっても大学に受かる
という事を後輩に証明したいと思って挑んだ大学受験では、出願校(4校)全て不合格ww
1年間の浪人時代を経て入学した大学の体育会や関東リーグでは、全国の舞台で活躍した選手がたくさんいました。
わたしには特に目覚しい実績は無い。
でも、3年間ずっと高校の代表としてスタメンで出続けられたおかげで、思い出や経験は人一倍できたのではないかと思います。
諸事情で大学1年の冬の20歳でサッカーを引退してから、6年の空白期間を経て再びフットサルでボールを蹴り始めた昨今
これからはフットサルを通して、またあの頃のような熱い思い出を作っていきたいなぁと思います。
やっぱりボールを蹴るのは楽しい!
勝ちにこだわってボールを蹴る楽しさを、アオキングを通して皆さんと共有できたら嬉しいです^^/
では、また都立青山公園で!!